2018-02

新山本造船所廃墟前の廃墟(廃屋)3連発

 この廃墟(廃屋)3連発は、高知市種崎の新山本造船所跡の反対側の小さい道を入った所に並んであります。もう随分人の気配はなくて、新山本造船所跡付近でも廃墟、空き家系は相当数あります。高知市内でも外れの方になると、なんだか過疎化しているな~なんて感じます。昔は山間部が過疎化のイメージでしたが、今では街の中心部から外れた場所も同じ様な感じになってきているという事なんでしょうね・・・

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造船所から正面1軒目・・・
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入口の鉄の門になんとなくレトロ感あります・・・
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角度を変えて・・・人気がなくなって結構経っている感あります。
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 2軒目・・・無人感漂ってますが、こちらはまだ廃墟までは荒んでないので、空き家程度でしょうか?・・・
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3軒目・・・こちらもぱっと見はよさげに見えます・・・
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角度を変えて。

※地図は→こちらです。

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千松公園の碑

 この碑は高知市種崎の千松公園の駐車場のすみに建ってます。

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 大正15年設置なんで、もう結構な歴史になってます・・・ちなみに土陽新聞って今は無いと思って調べてたら→こちら(コトバンクより)に説明が書かれてました。

※地図は→こちらです。


壽仙院跡前の廃墟

 この廃墟は壽仙院跡の手前に建っています。家というより、構造的に民家というより、何か個人の設計事務所に使ってた?・・・みたいな感じの建物です。

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木の塀も倒れかけです。
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壽仙院から攻めてきた竹がだんだん覆ってきてます。
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反対側から

※地図は→こちらです。



壽仙院跡

 壽仙院跡は高知市種崎中区の新山本造船所宿舎跡の近くにひっそりたたずんでいます。昭和55年刊の三里小学校百年記念誌『三里のことども』が発行された当時は種崎地区に現存する唯一の寺として紹介されており、その中で檀家が次第に減りその当時で数件、住職が「日本一のミニ寺でしょう」と話しているという事が書かれていましたので、それから40年位経ってその数人の檀家もいなくなって種崎地区唯一のお寺も静かに幕を閉じた・・・という事でしょうか。
 『三里のことども』には本尊は一塔両尊宗祖日蓮大士。と書かれていました。

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藪に隠れそうな感じになってます。
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入り口のアップ
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お寺の看板のアップ

※地図は→こちらです。

新山本造船所・工場跡

・更地が広がってきました。

※前回の記事は→こちら

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奥の小さな工場もどうやら取り壊される感じです。
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奥の工場から取り出された塗料か何かの缶
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※地図は→こちらです。

もち蔵家

 高知市種崎にある行列が出来るわらび餅屋さんです。高知市では辺鄙な所にあるのに、店が始まる前から行列が出来ています。週に数日だけ営業していて、基本的には2~3時位までの営業なんですが、ほぼ昼前には売り切れで店が終了している事が多いです。この店はわらび餅が有名ですが、どら焼きとか他のものもあります。
 店が昔からの旧家を改装しているので、建物としても古民家で風情があります。

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正面からの外観(早朝に写真を撮ったので、まだ行列は出来てませんでした)
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角度を変えて。

・もち蔵家の前のおはなし
 もち蔵家がオープンするまで、結構な期間空き家でいつかこの古民家も取り壊されるのかな~なんて思ったので、長く残ってなおかつ面影が消えないこういう形で残ったのは、すごくよかったのではないかなと思ってます。
 その昔、はさわだという昔でいう何でも屋さんみたいな店で明治(江戸?)時代から続く店でした。昭和の初めくらいまではすごく繁盛していたみたいで、その後造船所が盛んだった時も、正面に今は巨大廃墟になった新山本造船所があって、夜はその作業員相手に一杯飲み屋みたいな事もしていたみたいで、その時も随分繁盛していたみたいです。その当時は、子供とかは大人に
『夜はあの店の近くに行ったらようたんぼう(酔っ払い)のおんちゃんに絡まれるき近寄られん』
・・・なんて言われてたようです。
 それからは、造船所がなくなり、大型のスーパーとかが仁井田地区に出来たりして、代が変わって次第に田舎の暗い店・・・みたいな状態になり、店はなくなりました。この店の正面にヤマザキショップ系のコンビニを建てて一時期やってましたが、それもいつの間にかなくなって、現在は他の会社の事務所に様変わりしてます。(そういえば、ここに限らずつぶれたコンビニ流用例って多いな~これもなんか今昔みたいな転用例みたいな企画が出来そうなんて思ったりします・・・)

※地図は→こちらです。

スパイラルスタービル

 追手筋から少し入った所にあるビルです。一応売りになったるので、廃墟ではないと思いますが現在は無人ビルです。ビルの名前の由来は螺旋階段をスパイラルスターと表現したものなのでしょうか・・・

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少し遠方から。
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ちょっとだけアップ。
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正面から見上げた方向で。
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一応売りの看板出てます。

※地図は→こちらです。

種崎5区の廃墟

 いつから廃墟になったのかは分かりませんが、年を追うごとに庭にあった木が覆いつくし森の中の廃墟状態になっています。最近は春はミツバアケビ、夏から初冬にかけては最近帰化植物で問題になりつつあるイリオモテアサガオが咲いています。

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地図は→こちらです。

新山本造船所・工場跡

・だいぶ更地に変わってきました。

※前回の記事は→こちら

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鉄くずの山も小さくなりました。
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コンクリートの山も少し小さくなった感じです。
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このブロックもたくさんあったのですが、見る限りこれ一つになってました。
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よく分からないバリケードのようなもの・・・これは生き残るかも?

※地図は→こちらです。

峰寺のトーチカ跡

 このトーチカ跡は四国八十八箇所霊場の第三十二番札、所禅師峰寺へ登る道の途中に存在します。道沿いなので、比較的発見しやすいと思います。

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穴の部分が半分埋まってますが、こんな感じです。
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アップ・・・
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横方向はこんな感じです。

※トーチカではありませんが、すぐ近くに廃墟マニアにもおすすめ?の廃小屋があります。
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こんな感じ
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角度を変えて・・・

※地図は→こちらです。

種崎の御座大師

 四国八十八ヶ所の第35番札所清滝寺の奥の院(三里地区の文献は清滝寺で、ネットとかでは雪渓寺になっているものもあるので、どちらでしょうか?)弘法大使をお祀りしている場所で、昔足の悪い人がこの大師堂におまいりしたら、悪かった足がよくなって歩ける様になったという事で、御座大師と呼ばれるようになって、四国遍路や土地の人がご利益にやってくる様になった・・・という逸話があるらしいのですが、今はさびれて歩き遍路の人とかがよく通る場所にも関わらず、気付かずに通り過ぎてしまう人が多く、なんとなく寂しいお堂になっています。
 今は正面に行列の出来るわらび餅の店、もち蔵家があるのですが、お堂自体何も明記もされていないので、ほとんどの人は気付いても、何の建物だろう?くらいの感覚なのではないでしょうか。
 ここにお参りに来る人・・・は、今では奥の院とかも網羅している相当な八十八ヶ所マニアに近い人くらいではないでしょうか。

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 こんな感じで特に案内板等もないため、何のお堂か分からないです。手前のソテツも一株は力尽きてます。

地図は→こちらです。

三段道の廃墟

 高知市種崎の三段道沿いの新山本造船所宿舎跡地近くにあります。いつから人がいなくなったのかはいまいち不明ですが、もう随分前から人の気配はなくなっていて、敷地内にはゴミが捨てられたりして荒れてます。
 道沿いからは平屋が一軒みたいにみえますが、奥にももう一件平屋が存在します。

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正面からのぱっと見はそれなりにきれいそうには見えますが・・・
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角度を変えるとこんな感じで心ない人が敷地内にごみを捨ててるみたいです。
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奥の方にももう一件もう少し古そうな平屋が並んでます。

地図は→こちらです。



種崎の竹垣

 高知市種崎の道路は、バス道(実際はバス道になる以前の時代からですが)を基準に一段道,二段道,三段道という風に縦方向の道を中心に整備されていたみたいで、(今は春野赤岡線がその先にありますが、それはかなり後の話なので、含まれてません)昔は二段道や三段道界隈に竹垣が多く存在していたらしいのですが、その竹垣は、長宗我部元親が奨励して植えられたものが始まりだそうです。そんな昔から現在・・・となると、家の構成なども変わってきたので、もう竹垣も少なくなってきてますが、一段道~三段道の基本的は道の構成は変わってないので、昔から変わってない人家の周辺には竹垣が残っている所もあります。

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 この写真は二段道の中区周辺の竹垣ですが、ここ一角は昔からずっとこの様な竹垣が存在するので、元親時代から伝わってきたものかもしれないですね。
 昔はこの竹垣の内側は養鶏場があって、卵を生産している所が多くあって、この辺を通るとにわとりの鳴き声が聞こえてきてたりしたものですが、今では養鶏場もなくなり、竹垣自体も随分減って住宅が多く立ち並ぶ様になりました。
 また、昔はこの界隈は人家も少なく暗かったので、夜は幽霊でも出そうな雰囲気で通りたくない気配が漂ってましたが、今はそんな感じでもなくなりました。
 それでも、今でも竹垣は、中区の二段道界隈には昔からの面影を残しているのでは・・・と思います。

地図は→こちらです。

とさはし跡

 とさはし跡は、高知県では有名な観光名所はりまや橋よりはりまや橋公園の東端の部分に片側の欄干だけが残っています。目印としては、タワーパーキング跡を目印にしたら分かりやすいと思います。
 この橋は元々堀川の上にあった橋でしたが、埋め立てられて川はなくなってしまいました。堀川自体は現在カルポートの付近までしかありませんが、元々ははりまや橋から中央公園の付近まで川がありました。もっと昔はそこから江ノ口川付近まで延びていたらしいですが、徐々に埋め立てられていった・・・という事だと思います。

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とさはしの欄干
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 反対側から。銘板では架橋は昭和32年ってなってましたので、この橋の下にいつまで川が残ってたのでしょうか?昭和40年代まではあった様な気がするのですが・・・
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欄干から向こう側は、はりまや橋公園になってます。この公園沿いに行くと、はりまや橋があります。
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 対岸側。こちらも元々は欄干のみが残っていましたが、現在観光バスターミナルになってますが、そのターミナルを作る際に撤去されました。

地図は→こちらです。

新山本造船所・工場跡

・工場跡の基礎部分のコンクリートも撤去されはじめ地盤が土になってきました。

※前回の記事は→こちら

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建物基礎部分の取り壊されたコンクリートの山。
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鉄くずの山も少し小さくなりました。
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何故か転んでる酸素ボンベ。
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角度を変えて・・・コンクリート部分がだいぶ土になってきました。
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※地図は→こちらです。

種崎のバス停待合室

とさでん交通バス種崎線の終着駅のバス停と待合室です。

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 いい具合に廃墟感漂う感じですが、一応中のベンチは座れるし現役です。
 昔は夜点灯する裸電球に傘のある電灯があったのですが、今は電灯が取れて電灯の残骸の線がぶささがってます。ベンチの前と後ろも今は吹きさらしですが、昔は入口はガラガラ・・ってスライドする扉があって、背後も窓があって、冬は中に丸ストーブがあったりして、それなりに快適な待合室でしたが、今は夜もしここに座って待っていると、なんとなく心霊現象にでも出会えそうな雰囲気があったりします。
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 ちなみにこちらはバス停から対面方向にある、長浜-種崎渡船の種崎側の待合室。こちらも、元々は結構古い木造だったのですが、今は建て直されてそれなりに快適な待合室になってます。(渡船が運航している時間帯は開放されてます。)

地図は→こちらです。

ロープモノレール始発駅跡

 今は観光タクシーの事務所になっているみたいですが、昔ここから昭和44年(1969年)~昭和53年頃(1978年)まで五台山との山頂を結んでいたロープモノレールの青柳側の乗り場がここにありました。ロープモノレールは、丸形の乗り物で、一般にあるロープウェイと違って、自走式でロープに沿って動く乗り物でした。当初は、かなり物珍しさもあって乗る人が多かったみたいですが、五台山までの道が整備されてきて乗る人がだんだん減ってしまい、なくなってしまいました。
 ちなみに五台山側の駅の方はいまだに当時の建物がそのまま残されていて、屋上は展望台で、ビルの中には展望が利く喫茶などが入って健在です。

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地図は→こちらです。

二本松

 二本松は高知市の種崎と仁井田の境目の道路の最高点付近になり、ここが周りに比べて高い場所になっています。なんか話では、この場所と、高知城の天守閣の高さが同じ高さになるくらい標高がある・・・なんて言い伝えがあったりしますが、実際はそんな事はないみたいです。

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 今は空き地になってますが、少し前まではこの場所にガソリンスタンドがありました。
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 空から見るとこんな感じ。
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 同じ箇所を2012年まで遡ってみると、こんな感じでガソリンスタンドがありました。ちなみに二本松という土地の名前は元々この場所に二本の松の巨木があったので、それにちなんで付けられた・・・という事みたいです。
 松は昭和の初めくらいまであったそうですが、枯れてしまったらしいです。

※地図は→こちらです。

貴船神社の枯れたムクノキ

 高知市種崎の貴船神社には入口付近から3本の大きな落葉樹がありました。(入口から2本がエノキ、あと1本がムクノキ)その内の3本目のムクノキがだんだん樹勢が弱くなり、数年前の台風で、幹の半分から上が一度折れました。
 それでも、そこから小さな芽を出してがんばっていたのですが、とうとう去年の台風で根元から折れて力尽きました。

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力尽きたムクノキの切り株。
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力尽きたムクノキの切り株とまだ元気なエノキの2本
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 横方向から・・・大きな木がなくなってしまうと、木のあったスペースがなくなっているのが分かります。命あるものは、いつかはなくなってしまうものかもしれませんが、それもそれで一つの自然の流れなのかもしれないですね。けど、開発や寿命を前に切り倒されたのではなく、木としては命をまっとうしたので、それはそれでよかったのかもしれないですね。 

※ちなみに貴船神社は他にもやタブやカシの大木もまだ健在でがんばってます。

※地図は→こちらです。




高知市はりまや町のタワーパーキング跡

 はりまや橋商店街を抜けた高知よさこい情報交流館の正面にあるタワーパーキングの跡です。高知のタワーパーキングでは老舗の部類で、出来た当初がかなり利用客も多かったと思いますが、高知市中心部に駐車場が増えた事もあって、いつの間にか使われない白い巨塔みたいになってました。
 タワーパーキング自体が最近は流行らないのか、高知では、古いタワーパーキングはなくなってきつつあり、最近は空き地とかが出来ると、コインパーキングが増えているな~なんて思います。(新規のタワーパーキングはそいういば、見かけなくなった・・・)
 このパーキングも今は白ですが、元々は赤っぽいカラーリングがされていた記憶があります。けど、もう使わなくなったので、いつかは消えてしまう運命にあるのかもしれなですね・・・

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地図は→こちらです。

高知-大阪特急フェリー跡

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 今では作業船等が泊まるヤードになっていますが、昔はここから大阪-高知特急フェリー(なにわ,かつら)が多い時は朝と夜に出発して大阪の南港まで行っていました。飛行機や列車と比べて安かったので、昔は夜発の便にのって、ざこ寝で朝大阪着く・・・といった大阪に行く人が結構利用していましたが、四国内の道路網が発達して、高速バスが増え始まると、値段もあまり変わらなくで、1日の便数も多くて時間的にも短く、なおかつ大阪の中心部に着くという事で、だんだん高速バスにとって代わられて、なくなってしまいました。
 高知新港も当初は、このフェリーと、さんふらわあ(高知-那智勝浦-東京)の発着ヤードも予定の中に入って作り始めてたみたいですが、結局高知新港が出来る前にどちらもなくなってしまいました。

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 こちらの建物は、確か大阪-高知特急フェリーの切符売り場券窓口兼待合室みたいな場所だったかな~と思うのですが、廃墟とまではいってませんが、今は利用されてないみたいです。
 大阪-高知特急フェリーがある時は、この辺にレストランが2軒あって、朝と夜の発着時とかは利用者で賑わっていましたが、今では閑散とした場所になった・・・という感じです。

※地図は→こちらです。

新山本造船所・工場跡

・とうとう取り壊されてなくなってしまいました。

※前回の記事は→こちら

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鉄くずの山も搬出しています。
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鉄くずの山
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取り壊されたら、奥から今までみえなかった廃墟の様な鉄塔が現れました。
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こんなの

※地図は→こちら

高知市種崎の木製電柱

 高知市種崎の先端部に今では現役で見る事が珍しくなった木製の電柱が3本今でもがんばっています。

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 1本目、浦戸大橋の真下の道の突き当たり付近にある横引きゲート裏側東側付近にあります。
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 2本目、貴船漁港の東端付近にあります。
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 3本目、木船漁港の裏側の水産作業所の付近にあります。この電柱に関しては、街灯もついてるので、一番大活躍です。
 
 普通なら、木製の電柱はとっくの昔に取り替えられている代物だと思うのですが、ここは堤外の電力会社とは直接関係ない支線扱いの電柱なので、現役で残ったのではないでしょうか。けど、この付近結構台風の時は強い風雨が当たる場所なんですが、想像以上に頑丈なんだな~なんて思いました。

※最初の電柱の地図は→こちら
※あとの2つの電柱の地図は→こちら

高知市種崎の廃墟

 新山本造船所・宿舎跡の正面付近にある廃墟。昔一人暮らしのおばあさんがいた・・・という話は聞いた事がありますが、それ以外はよく分かりません。

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角度を変えて

種崎の廃貨車

 新山本造船所の工場(取り壊し中)の方がおっきくて目立つので、それまであまり気にとめなかったのですが、なくなっていく廃墟をおっかけてよくこの場所を訪問してて、ふと気が付くと、近くの駐車場の片隅に物置の様に列車の貨車?みたいなのが並んで置かれて月日が経った姿でたたずんでいました。

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こんな感じ
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角度を変えて・・・なんか古い貨物列車が進んでいく・・・みたいな置かれ方してます。

 中って使われているのでしょうか?工場跡が更地になると、この付近ではこれが廃墟(ではないけど)系統のメインになりそうです。

※地図は→こちらです。

種崎-浦戸ポンポン渡船の乗り場跡

 浦戸大橋が昭和47年に開通するまでは(開通してからも2~3年あった様な気がしますが)高知市の浦戸-種崎を結ぶ小さな渡船がありました。(今でも運行中の長浜-種崎間の渡船に比べてかなりちっちゃい渡船で、人がメインで乗って自転車とか渡船に乗せる時は一旦抱えて船に入れていた様な感じだったかと・・・)もう、そんなものがあった事すら地元の人も記憶から忘れられてきていますが、(その割にもっと古い時代にあった巡航船の事は覚えてる人が多いんだけど・・・)その渡船の乗り場が今でも種崎の貴船漁港の片隅にたたずんでいます。

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 ブラタモリロケ地付近から見たポンポン渡船の乗り場。少し見にくいですが、木の桟橋の向こうの堤防の前にある、海につっこんでいっているスロープのコンクリート構造物が乗り場跡です。
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 貴船漁港から見た乗り場跡。このスロープに横付けする形で渡船が来てました。何でコンクリートがスロープになっているかと言うと、干潮や満潮でも丁度の位置にずらして着岸して人を乗り降りさせていたので、それに合わせた構造だと思います。
 今ではこの海に突っ込んだコンクリートの坂は何じゃらほい?って感じ・・・ですね。

※地図は→こちらです。

ホテルヨコハマ跡

 高知市横浜の西孕のトンネルから横浜側へ少し行った所にあるラブホテル跡です。数年位前まで営業してた(と思う・・・行った事はないけど)ので、比較的外観はきれいです。もし、引き継ぐ人でもいたら、まだ出来そうな感じなんで、廃墟と呼べる代物ではないとは思います。(今のところ)

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建物の全体像
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違う角度から
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看板のアップ(RESORT HOTEL YOKOHAMAってなってますが、ラブホテルってリゾートなんでしょうか・・・)

・横浜のもうひとつのラブホテル跡
 近くに適当に車を置ける場所がなさそうな感じなので、行った事はないのですが、宇津野トンネル横浜側から今回載せたヨコハマと反対側の道路の奥にあるホテル・ナターシャ跡の方がなんとなくネーミング的に気になってたりします。ナターシャって松本零示さんの宇宙船間ヤマトのスターシャのパクリかよ!って突っ込みたくなる様なネーミングですが、ホテルの看板はまさしくパクリっぽくスターシャとメーテルの混ぜて2で割った様な女性の絵が書かれてました・・・ま~出来たのは昔なんで、あんまり著作権うんぬん・・・って言う前の時代だったので、そんなのはそこに限らずその時代はそこかしこにあったのかもしれません。けど、確かナターシャからロマンって名前が変わったので、メーテル系の絵はもうないのかもしれないですが・・・笑

※地図は→こちらです。

西孕のトンネル(宇津野トンネル横の旧トンネル)

 宇津野トンネルから海沿いの少し狭い道を行くと、旧道の小さなトンネルがあります。今でも地域の車両が通る現役です。その後宇津野トンネルができて、(宇津野トンネル自体も狭いので、昔はこのトンネルを対面で車が通行してたんだ・・・って思うと結構大変だったのかも・・・なんて思うのですが)新宇津野トンネルが出来て、現在は宇津野トンネルと新宇津野トンネルが一方通行のトンネルになっています。

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横浜側から
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高知側から
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現役のトンネルなので、上部のコンクリ巻きの部分は新たに補強し直したみたいです。
※ちなみに2010.12月にも同じトンネルを撮影しましたが、その時はこんな感じでした。

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なんかゴミみたいなのに埋もれかかってますが、高知側の入り口の横に『月見基登口』って碑があるのですが、何か昔でもこの付近にそんな施設があったのでしょうか?

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このトンネルの高知側の入り口の横には、廃墟マニアにもやさしい?シュールは廃墟のおまけ付きです。

※地図は→こちらです。

新山本造船所跡

・新山本造船所の3大廃墟のうち、宿舎跡が取り壊され、工場も取り壊しが始まり、残るは造船所本体だけになりつつありますので、改めて造船所の跡も撮ってみました。

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消火口(何ヶ所かこんなのがあります)
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正面の看板(少し外れはじめてます)
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電線はつながってるので、電気は使えるという事でしょうか(そういえば、無断侵入防止でセコムしてたみたいでした)
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なにかよく分からないオブジェみたいなもの。

※地図は→こちらです。

新山本造船所・工場跡

・取り壊しがはじまって、半分位取り壊されました。

※前回のこの廃墟に関する記事は→ こちら

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取り壊された鉄骨の山
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角度を変えて
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反対側から

※地図は→こちらです。

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マッコウクジラ

マッコウクジラ

『気まぐれ文学館』
・第15回,16回短歌現代新人賞 佳作
・第47回角川短歌賞 最終予選通過
・H15年度 歌壇・歌壇発新星36人 一年連載
他・・・
現在は当ブログにて地道?にゲリラ活動中・・・